藤田哲也 ミスタートルネード

研究者の足跡

空を学んでいく中で、この方のことを知り、「こんなすごい人がいるんだ!」と興味を持った最初の研究者です。

本来であれば、学習した内容に即して研究者を挙げていく方がわかりやすく、興味が深まると思います。が、テーマ1「研究者の足跡」をたどっていくにあたり、絶対最初に書きたいと思っていた方です。藤田哲也氏が研究してきたことの詳しい内容につきましては、テーマ2の進行状況に合わせて後々に記載することとして、先走ってその功績の一部を書かせていただこうと思います。

もともと空が好きでしたが、空を研究している人のことを知りたいと思うきっかけになった方です。

略歴

1920年 福岡県企救郡曽根村(現北九州市小倉南区中曽根)に生まれる。

1943年 明治専門学校を卒業。同校物理学教室研究助手に着手。助教授に就任。

1945年 広島・長崎に原子爆弾投下。8月20日、長崎の原爆調査へ赴く。

1947年 脊振山で雷雲を観測(雷雲の下降気流を発見する)。

1950年 論文「雷雨の鼻の微小解析研究」を発表。

1953年 東京大学から理学博士号を取得。米国シカゴ大学へ留学。

1956年 米国へ移住。

1971年 Fスケールを考案。竜巻の二重構造(子竜巻)を提唱。

1975年 イースタン航空66便墜落事故発生。墜落原因を調査する。

1976年 イースタン航空66便墜落事故原因を「ダウンバースト」と発表。

1978年 ドップラーレーダーを用いてダウンバーストを初観測。

1982年 マイクロバーストの垂直断面を観測。

1998年 シカゴの自宅にて永眠。

渡米まで

藤田氏の父は小学校の地理講師であり、自然や科学を身近に感じながら子供時代を過ごしたようです。子供時代からその観察眼は鋭く、観測したデータを基に新しいものを考え出す力に長けていて、またそのたぐいまれな才能は、観測機器を自分で作り出してしまうところにも現れていました。

日本にいる間のエピソードについては、参考文献⑤に詳しく書かれています。子供にしては少し生意気だったのかもしれませんが、その点も御自身から面白く語られているようです。小倉中学三年生の時、「青の洞門」に社会科見学に行ったときの感想文のエピソードは、藤田氏らしく、非常にユニークなものでした。

藤田氏が初めて行った学術調査は、1945年8月、長崎でした。原爆調査のためです。

これまで使われたことのない新兵器がどういったものなのか、1つの爆弾によるものなのか複数の爆弾によるものなのか、どこに投下されたのか。あらゆるものが焼かれ、吹き飛ばされている現場においても、その観察眼は発揮されるのでした。

藤田氏は、墓地にある「花さし」上部に残る黒ずみから中心地の角度を三次元的に割り出し、それらがどの地点で交差するかを調べたのです。「花さし」は、地面に固定されていたため、吹き飛ばされずにすみました。後に広島でも同じ調査を行い、1つの爆弾が、ほぼ同じ高度で爆発していたことを突きとめました。

研究者としての第一歩目がここから始まりました。

日本での研究生活の中で、1947年に脊振山で雷雲を観測したとき、その観測データをもとに雷雲の下降気流を発見し発表したことが、藤田氏を気象学へ導くきっかけになります。

藤田氏は偶然にも、脊振山頂の米軍レーダー基地内のゴミ箱に捨てられていた、シカゴ大学ベイヤー教授の論文と出会います。自身が英語で書いた論文をベイヤー教授に送付したことで、シカゴ大学に招かれ、後にシカゴ大学の風研究室を発展させることになります。

参考資料②より引用

この図は、藤田氏がベイヤー教授に送付した論文に記載されていた図です。藤田氏を語る上で欠かせないのが、描かれる図・イラストのわかりやすさ、美しさです。見えていないものを表現する力、また物事を二次元ではなく三次元で捉える力も長けていました。

わかりやすく美しい図・イラストは、それだけで研究者ではない私たちをも理解した気にさせてくれる、また興味をもたせてくれる、本当にありがたいものです。

Fスケール(藤田スケール)

1971年、Fスケール(藤田スケール)を発表しました。竜巻において、建物の破壊の程度などからその最大風速を推定する基準です。私が藤田氏の名前を知ったのはこのスケールを知った時でした。

アメリカの地震学者チャールズ・リヒターが1935年に考案した、地震のエネルギーの大きさを示す「マグニチュード」の、竜巻版といえるでしょうか。

Fスケール
参考文献①より引用

ビューフォート風力階級12(最大)をF1として、F12まで段階付けし、F12はマッハ1に相当します。こうすることでビューフォート風力階級とマッハ数が、Fスケールでつなげられました。

藤田氏没後のアメリカでは、詳細な竜巻被害調査をもとに、風速と被害状況がより実際と近くなるように変更が加えられた「EFスケール(改良藤田スケール)」が使用されています。また日本の気象庁では、2016年から日本の建築物に合わせて風速を推定することができる「JEFスケール(日本版改良型藤田スケール)」が使用されています。

藤田氏の発表はこれに留まりません。後に航空業界の歴史を変えた、重要な発見をされます。

ダウンバースト

1975年6月24日、イースタン航空66便墜落事故が発生しました。乗員・乗客124名のうち死者112名。当時アメリカで起こった最悪の航空機事故でした。藤田氏は調査員として招集され観察し、そして自身の長崎での調査を回顧しながらひとつの答えを導き出しました。

当初、パイロットの操縦ミスとして認識されていましたが、藤田氏は、気象現象が関連している、今後の航空業界の安全性を改善するための早急な対策が必要である、と発表しました。

その気象現象は「ダウンバースト」と名付けられました。

1975年6月24日、イースタン航空66便墜落事故
墜落時におけるJFK空港付近の風のイベントと飛行経路、Fujitaによる分析
参考文献③から引用
参考文献②より引用

語源としては、ダウン:下りる、バースト:広がる となっており、風の動きがイメージしやすい言葉となっています。

ただし、これは藤田氏の観察眼から導き出されたものであり、発表当時、一度も観測されていない現象でした。また、なぜこのような現象が発生するのか、理論的には何も解明できていない状態での発表だったのです。批判は長く続いたようです。

せめて観測できればその現象を証明できるのですが、ガストフロントなど数十kmにおよぶ現象と異なり、せいぜい数百m〜10km程度の局所的に発生する気象現象であったため、観測することが非常に困難だったのです。観測するための装置もありませんでした。

そのような中、ついに1978年5月29日、初めてダウンバーストが観測されることとなりました。時を同じくして開発されたドップラーレーダーを用いた観測によるものでした。初観測のとき、どんなに嬉しかったでしょう。

発表以降、パイロットに対し、マイクロバーストに遭遇したときにどのように対処するかの訓練が始まりました。経験したことがない目に見えないものも、それを想定しているか否かで緊急時の対応が変わります。1988年、着陸時に最大級のマイクロバーストに遭遇した航空機が突破飛行し、危機を脱したと報告が入りました。訓練が生かされたのです。

ダウンバーストについては、現在ではその発生が理論的に解明されています。また、より局所的に起こるマイクロバーストについては、わずか15分〜20分で生成され、5分以内に、より強烈な下降気流を発生させて活動のピークを迎えることが明らかになっています。その発生を数分前に観測できさえすれば、航空機を危険な進路から回避させられることがわかったのです。

以降、航空機事故の頻度は格段に減ることになりました。

現在は、主要な空港にドップラーレーダーが設置されるようになっています。

ドップラー効果の詳細については別に学ぶとして、このように航空業界の歴史を変えた事実と、それが藤田氏による功績であることを知っていただけたらと思います。

 空港気象ドップラーレーダーは、アンテナを回転させながら電波(マイクロ波)を発射して、一般的な気象レーダーと同様に雨や雪などの降水の分布を観測するとともに、電波のドップラー効果を利用することによって風の分布も観測しています。
 降水の観測に関しては、発射した電波が戻ってくるまでの時間から雨粒や雪片など(降水粒子)までの距離を測定し、戻ってきた電波の強さから雨や雪などの降水の強さを観測しています。
 また、降水分布や降水強度を観測するだけでなく、発射した電波の周波数と電波が降水粒子に反射して戻ってきた電波の周波数との差(ドップラー周波数)を測定することにより、降水粒子がレーダーサイトに向かってどのくらいの速さで近づいているのか、または離れているのかを求めています。降水粒子の動きは大気の動き(風)によるものですので、結果として、降水粒子が位置する地点の「風の流れ(ドップラー速度)」を観測することができます。

気象庁HP

あとがき

現地に赴き観察する、自分で測定する、測定器を自作する、記録する、観察・測定した結果を立体的に捉える、図示する。この行程を藤田氏は当然の流れのようにしていたのかもしれません。が、それぞれが非常に秀逸です。

大学で気象学を学んだわけではなく、「物理学」の助教授であり物理学を教える立場であった、気象庁の人間でもなかった藤田氏が、気象学に多大に貢献されたこと。

「気象学の専門的な教育を受けていなくても、好きなこと興味のあること必要とされていることを探究していくと、その過程や経験はどこかにつながるのかもしれない」と、期待させてくれます。

物理屋・数学屋でもない自分には世紀の大発見はできませんが、「あの人が発見したこれは世紀の大発見だ!!」とわかる人物でありたいと思います。

また、三次元的に捉えて描く力については、私の目指すところでもあります。藤田氏が見ていた世界に少しでも近づきたいと思っています。

参考文献

① Fujita, T. T :Proposed characterization of tornadoes and hurricanes by area and intensity.(1971)

② 藤田哲也:メソ気象学の開拓(1990)

③ James W. W, Roger M.W :The Discovery of the Downburst: T. T. Fujita’s Contribution(2001)

④ 筆保弘徳・芳村圭編著、稲津將・吉野純・加藤輝之・茂木耕作・三好建正著:天気と気象についてわかっていることいないこと ようこそ、そらの研究室へ,ベレ出版(2013)

⑤ 佐々木健一著:Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男,文藝春秋(2017)

Storm Prediction Center(SPC)

*別項「注意書き」をご一読ください

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