ここでは、「大気の鉛直構造」の発見の歴史について、特に成層圏の発見について、学んでいきます。
「大気の鉛直構造」の歴史
この図は、大陸移動説で有名なウェゲナー(Alfred Lothar Wegener,1880ー1930)の教科書『Thermodynamik der Atmosphäre』(1911)に記載されている大気の断面図です。
右端に書き込まれているように、大気が鉛直方向に区切られ、それぞれに名前がつけられています。
- 0〜70km 窒素圏
- 0 〜10km 対流圏
- 10〜70km 成層圏
- 70km〜 ‘Grenze des blauen Lichtes’ 水素圏
- ‘Grenze des blauen Lichtes’ 以上 ゲオコロニウム圏
大気を区分するようになったのはこの頃からだと言われています。さすが大陸移動説を考えついた人物だけあって、物事を広く大きく捉える力が素晴らしく長けてますね。
現在の大気区分が温度構造をもとにしているのに対して、この頃は化学組成によって区分されているという違いはありました。
ここでは、1911年には教科書に記載されるようになっていた「成層圏」の発見について学んでいきます。
成層圏発見までの背景
成層圏の存在が発表されたのは1902年です。それまでの流れとして、19世紀末、高層気象を観測することへの挑戦がありました。低気圧や高気圧の実態を知るには地上の観測だけでは不十分で、何とかして高層の状態を知る必要があるという気運が高まります。
高層気象観測を行うにあたり、いくつか課題があります。
- 何の値を測定するのか?
- どのような観測器であればより正確に測定することができるのか?
- どのように測定するのか?有人か無人か?
- 有人の場合、どこまでも高く飛んで測定できるのか?
- 無人の場合、測定した値をどのように回収するのか?
みなさんがもし1900年に生きていたら、どのように空の観測をしますか?
測定したデータがいろいろ手に入る現在も楽しいですが、何もわからないところから手探りしていく当時もまた、楽しそうですよね。
高層気象観測は凧や気球を使うところから始まりました。凧は空高くへ無人で飛ばすことができ、かつ測定値を回収することができます。その後気球による有人での観測が始まり、より正確なデータを記録することができるようになりました。ただし酸素の問題で、有人で飛べる最高高度は10km程度でした。
そこで、無人で気球を飛ばしかつ記録することのできる観測器の試行錯誤が行われました。
この頃は、高度10kmまでの観測結果や、物理理論の観点から、大気は高度が上がるほど気温は下がる、高度35km程度で絶対0℃に近づいたところで大気圏が終わるという考え方が主流でした。
こういったそれまでの常識をくつがえす結果となる、等温層(今でいう成層圏)の存在を発表したのが、テスラン・ド・ボールです。
テスラン・ド・ボール Léon Philippe Teisserenc de Bort
1855ー1913
フランスの気象学者であり、航空学の先駆者です。大気上層のさらなる研究への道を開きました。
リヒャルト・アスマン(1845-1918)とともに、成層圏の共同発見者とされています(1902年の同じ時期に発見を発表)。
無人の観測気球の使用について研究し、大気の上層において、気温が下がらない領域(気温減率が0に達する領域)が約8〜17kmの高さにあることを最初に特定した人物です。今日、その領域は「対流圏界面」と呼ばれています。
初期の人生とキャリア
父親がフランスの商務大臣を務めたこともある資産家でした。彼は病弱でしたが、家庭教師から趣味として科学を与えられました。
1878年フランス中央気象台ができると直ちに参加し、一般気象サービスの責任者となりました。
地質学と地磁気の研究をするために、1883年、1885年、1887年と北アフリカに旅をし、この期間中に4000mの高さにおける圧力分布のチャートを公開しました。
1892年〜1896年の間に、中央気象台の主任気象学者を務めています。
観測気球のパイオニア
1896年に中央気象台を辞任した後、ベルサイユの近くのトラップ(パリの西部郊外)に民間の気象観測所を自費で設立します。そこでは空と上層大気の問題について調査を行いました。はじめは凧を使っていましたが、その後高空飛行の計器用の水素気球を使って実験を行い、このような装置を初めて使用した人の一人でした。
1898年に、気球を使用して調査した大気構成に関する論文を発表しました。彼は、気温は高さ約11kmまで着実に低下する一方で、それより上の高度では(到達可能な最高点までは)気温が一定であることに気づきました。
前記したように、この発見は、これまでの常識をくつがえすものでした。
何年もの間、彼は真の物理現象を発見したのか、それとも彼の測定が何かしらの系統的偏りがあるのかを確信できていませんでした(実際、最初の測定では、機器が太陽放射による放射加熱を受けやすいため、正の温度に偏りがありました)。そのため、なんと200回以上の気球実験を実施しています。その大部分は、放射加熱を排除するために夜間に行われました。また一晩に3回気球を飛ばすこともありました。
そして1902年、ついに大気の層が2つに分けられることを発表しました。
下記に発表内容の要約を引用します。
この実質2ページほどの報文によると,11km以上の高度に達した気球は236個,その中で14km以上のものが74個で,その結果は(岡田,1956より引用)
(1)大気中の平均の温度逓減率は高層に行くほど大きくなり,ほぼ断熱変化に近くなるのは周知のことであるが,然るに再び急に減じて約11kmの高さではほとんど零となる.これは新しい事実である.
(2)大気の状態しだいで多少異なっているが,8kmないし12kmの高さ以上では,温度の逓減率は非常に小さい.どちらかというと逆に昇温する.そしてこの気層の厚さは未だわからない.
ということにまとめられる.
松野太郎:成層圏と大気波動の研究をめぐって(1982)から引用
逓減率(ていげんりつ)とは、今で言う気温減率にあたるかと思います。気温減率が0となる=気温が下がらない、つまり等温層を発見したということです。そしてその高さが8〜12kmと幅をもっていることも言われています。
別の人の論文内で、テスラン・ド・ボールが1899年に観測したデータのひとつが掲載されており、下記に示します。
この図では、2ヶ所での観測結果が載せられています。上の線2つがテスラン・ド・ボールがトラップの観測所で観測したもの、下の線2つはこの論文の著者ケルバンがチューリッヒで観測したものになります。
横軸は時間(min)です。組になっている線のうち、上の線が気温(Th)、下の線が気圧(B)を表しています。この2つが気球で測定された値です。両者を対応させることで、高度での気温変化がわかります。
ここに示されている時間内で気球は上昇し続けています。そのときの測定結果として、気圧は減少し続けていますが、気温の低下は高度11000m、−56度のところで終わっており、以降はほぼ一定もしくはやや上昇している傾向があることが読み取れます。
にしても驚くべき観測回数ですよね。236回も気球を飛ばしています。これまでの常識をくつがえす結果であり、発表にあたりかなり慎重に観測を繰り返した経緯が読み取れます。
そしてこの観測回数を可能にしたのは、自身で作成した観測気球でした。安価な紙製にし、費用をおさえることで観測回数を飛躍的に増やすことができたのです。また気球が遠くに風で流されないように、一定時間後に下部の気球からガスを抜いて上部の気球をパラシュート代わりにして落下させる装置なども考案しました。
その後
その後数年間のうちに、現在では「対流圏」と「成層圏」として知られる大気の2つの層に名前をつけました。
1908年、独自の自動サンプリング装置をつけた気球を飛ばし、10〜14kmの高度の空気を採取して稀ガスの分析を行いました。上空の空気も地表と同じ稀ガス類を含んでいることがわかりました。
1913年に没後、相続人は研究作業を継続できるように、天文台を州に寄贈しました。
追加調査
彼はまた、デンマークのヴィボー近郊、スウェーデンのゾイデル海、地中海、大平洋の熱帯地域で調査を実施し、特別な装備をした船を使用して、貿易風の流れを研究をしました。
彼の名に由来する名称
月のクレーター;Teisserenc
火星のクレーター;Teisserenc de Bort
あとがき
それまでの定説とは異なる観測結果が出たとき、その結果を排除せずに観測回数を重ねたことが、テスラン・ド・ボールが同時代の研究者たちと異なる点かと思います。こんなに繰り返し観測した結果であれば、誰しも「お?本当なのかも?」と耳を貸したくなります。
その観測回数を実現するために、自身で観測器の改良を行うところも素晴らしい点です。当時手に入るものを最大限活用して観測を繰り返し、問題点が出たら原因を推測し、より良い方法を追究しまた観測する。
観測と理論に食い違いがあるとき、そこには私たちがまだ知らない何かが存在します。
テスラン・ド・ボールの時代には、なぜ気温が等温になるのか、原因は突きとめられませんでした。それがわかるのは約30〜40年後になります。しかし、観測によってその食い違いを発見し、人々が新たなる謎に向かうことができたのです。食い違いが見つかってなければ次の課題も見えませんもんね。
真似して何か観測してみたくなる、観測・観察し続けることで見えてくるものがある、と思わせてくれる人物です。
参考文献
① 松野太郎:成層圏と大気波動の研究をめぐって(1982)
② Klaus P. Hoinka:The tropopause: discovery, definition and demarcation, Meteorol. Z.(1997)
③ 堤之智:気象学と気象予報の発達史 第2刷,丸善出版(2019)
④ 堤之智:気象学と気象予報の発達史(web),テスラン・ド・ボール
⑤ ENCYCLOpedia.com:Teisserenc De Bort, Léon Philippe
*別項「注意書き」をご一読ください