電離層の発見

研究者の足跡

1920年代にラジオ、1960年頃にテレビが普及し、現在は携帯電話やカーナビなど、家の中だけではなく屋外でも多くの電子機器が利用できるようになっています。これらは電波を活用して成り立っています。

電離層発見の歴史について学んでいきたいと思います。

電離層、発見、反射
電波の反射

アーサー・エドウィン・ケネリー Arthur Edwin Kennelly

1961−1939

インド生まれのイギリス人で、後にアメリカで研究を行なった電気工学者です。

彼は電気工学の理論と実践、電離層の研究、電気単位の標準化という3つの分野で重要な貢献をしました。このうちの電離層の研究について、記載していきます。

初期の人生とキャリア

イギリス領インドのボンベイ管轄区のコラバに生まれ、ロンドンのUniversity College Schoolで教育を受けました。大学には行っていません。

彼が工学に関心を持つようになったのは、ラティマー・クラーク(英:Clark, Josiah Latimer、1822−1898)の潜水艦電信に関する講演を聞いたことがきっかけでした。

ケネリーは14歳で学校を卒業し、電信技術者協会(電気技術者協会の前身)の職員になりました。15歳でイースタンテレグラフカンパニー(大東電信会社)の電信オペレーターになりました。彼は従業員として10年間働き、実践と研究を通じて工学教育を取得しました。

1887年12月にトーマス・エジソン(英:Thomas Alva Edison、1847-1931)のウェストオレンジ研究所に加わり、1894年3月まで滞在しました。ここでは電流戦争を経験したようです。

1894年にはエドウィンJ.ヒューストンと彼自身のコンサルティング会社を設立しましたが、専門の海底ケーブルで研究活動を続けました。1902年に彼はハーバード大学の工学教授に任命され、1930年に引退するまでその職に就いていました。1913年から1924年の間に、ケネリーはマサチューセッツ工科大学で二度の任命を受けました。

電離層の発見(説)

1901年、グルエルモ・マルコーニ(Guglielmo Giovanni Maria Marconi、1874−1937)が大西洋を隔てて無線電信用の電波を受信することに成功し、一躍世界の無線通信時代の幕を開きました。これは、直進すべき電波が実際には直進せずに地球側に反射されたことを示すものでした。

そこでケネリーは、電波はイオン化された上層大気の不連続性から反射されなければならないという考察をしました。つまり、地球の上層大気中に電波を反射する電気伝導層が、太陽の紫外線により生成されているという説を立てました。

オリヴァー・ヘヴィサイド Heaviside, Oliver

1850−1925

イギリスの電気技師、物理学者および数学者です。 電気回路におけるインピーダンスの概念の導入、複素数の導入や「ヘヴィサイドの演算子法」といった物理数学の方法を開発するなど、大きな功績を残しました。

初期の人生とキャリア

幼児期に猩紅熱に罹患したために難聴となりました。正規の大学教育は受けず、また研究機関にも所属せず、独学で研究を行いました。

ロンドンのカムデンハウススクールで教育を受けたヘヴィサイドは、彼は1866年(16歳)に学校を卒業しました。1868年にデンマークに行き電信オペレーターになり、1870年にはチーフ電信オペレーターに任命されました。

1871年(21歳)ヘヴィサイドはイギリスに戻り、海外の交通を扱う会社(グレートノーザンテレグラフカンパニー;GNTC)に就職しましたが、1875年に彼は難聴が進行したために仕事を辞めなければなりませんでした。その後、叔父のチャールズ・ホイートストン(Charles Wheatstone、1802−1875、物理学者)から電気研究を続けるように勧められました。

今回取り上げるのは電離層の発見についてですが、彼は生涯の間に、物理数学の分野で多大な貢献をしました。また彼は、後にすべての電気技師にとって当たり前の考え方や表現となる新しい概念を導入し、「静電容量」、「インダクタンス」、「インピーダンス」、「減衰」など、現在通信工学の基本となる言語の多くを発明しました。

(*物理数学の分野に疎いため、正式な和訳になっていない可能性がありますので留意下さい)

電離層の発見(説)

1902年、電波を偏向させる大気中のイオン化層に関するヘヴィサイドの有名な予測が、「ブリタニカ百科事典」第10版の「Telegraphy(電信)」というタイトルの記事に掲載されました。この考えは、彼が一対の導線に沿った電磁波の動きと導電性の地球上での電磁波の動きとの類似性を検討していたときに思いついたものです。

電波が曲がった道を案内される可能性について、「上空には十分な電導層がある可能性がある。もしそうなら、波は多かれ少なかれそこに到達する。その後、片側は海へ、対側は上層に案内されるだろう」と提案しました。

この層は、最初はヘヴィサイド層と呼ばれ、後にケネリー=ヘヴィサイド層と名付けられました。この層は、現在でいうE層にあたります。

よう
よう

ケネリーとヘヴィサイトは、1901年の大西洋横断無線通信を受けて、ほぼ同時期に、上空には電波を反射する何かが存在すると推論するようになりました。

しばらくは仮説上の存在でありましたが、後にその存在を証明したのが、エドワード・ビクター・アップルトンです。

エドワード・ビクター・アップルトン Edward Victor Appleton

1892−1965

イギリスの物理学者であり、大気の上層である電離層の研究で名声を得た電波物理学の先駆者です。

1947年ノーベル物理学賞受賞。

初期の人生とキャリア

科学と数学だけでなく、文学と言語の研究にも優れた優秀な学生でした。16歳でロンドン大学に入学し、2年後には奨学金を獲得してケンブリッジ大学で学びました。21歳の時、物理学についてトップの成績で卒業し、その後大学院での研究を始めました。

しかしながら、第一次世界大戦(1914−1918)が勃発し、この研究活動は中断されました。アップルトンは王立工兵隊に入隊し、士官として信号任務を任されます。彼はここで、当時軍で初期段階にあった通信手段であるラジオに初めて触れます。戦時中に開始された電波の伝播と受信の理論・実践の研究は、アップルトンにとって生涯にわたって関心をひくものとなり、科学者としての名声をもたらすことになります。

戦争が終わると、アップルトンはケンブリッジの研究所に戻り、無線真空管の動作の研究を開始します。この分野における彼の研究は、電子部品の基礎となる物理原理への入門書として長く使用された学術単行本「Thermionic Vacuum Tubes」(1932)の出版につながりました。

電離層の証明

1924年、アップルトン32歳の頃から、ロンドンに滞在します(1924−1936)。この期間に電波送信と高層大気を研究することで、物理学に最も大きな貢献をしました。

1924 年、アップルトンはボーンマスの BBC 局からケンブリッジで受信した無線信号の強度の研究を開始しました。そこで、信号の強度の変化に気づきます。日中は一定であるが、夜間には変化し、ほぼ規則的に上昇および下降することを発見しました。これにより、受信装置が夜間には1つではなく2つの波を受信して​​おり、1つは直接伝わり、もう1つは大気によって反射されることが示唆されました。

アップルトンは、送信信号の周波数を変化させ、直接届いた電波と電離層で反射した電波の干渉波形を調べることにより、電離層までの距離を測定しました。史上初の無線による距離測定です。これにより、ケネリー=ヘヴィサイド層(E層)が地表60マイル(約100km)の高さに位置していることを証明しました。

1926 年、アップルトンは地表250−350kmの別の層を発見しました。この層は昼間だけでなく夜間も短い波長を反射し、ケネリー=ヘヴィサイド層(E層)よりも強い強度で反射されることを発見しました。これがアップルトン層(F層)です。この発見により、その後のラジオ、短波、レーダーなど多くの進歩が可能になりました。

その後

1936年にケンブリッジ大学に戻り、電離層の研究を続けました。第二次世界大戦が始まると、アップルトンは政府の科学者になるために学業を辞め(1939年)、英国の核・レーダーの組織管理に関する役職となりました。

1949年、公務員を辞職し、エディンバラ大学の学長職に就きました。電離層物理学への関心は維持し、科学誌Journal of Atmospheric and Terrestrial Physicsを設立し、亡くなるまでその編集長を務めました。

あとがき

電離層の発見は、気象学者ではなく、電気工学者・電気技師・物理学者たちによってなされてきました。この高度となると、気象に影響を与える要素が減ってくるのでしょうか。また、まだわかっていないだけかもしれません。

ケネリーもヘヴィサイドも、電気回路など地上における電気工学の研究を進めていたのだと思いますが、1901年の電波受信がきっかけか自分の手持ちデータがきっかけか、類似性を見つけ出し「電離層が存在する可能性」という同じ推測に到達することのできる想像力、視野の広さが素晴らしいと思います。

そしてそれを証明したアップルトン。関心のきっかけが出征中に初めて触れたラジオであったことが、なんともいえません。研究を中断させられた戦争ではありましたが、そこでも自分が関心のある物事を見逃さずに研究に生かす姿勢は秀抜です。

物理数学に全く触れてこなかった私としては、この機会がなければ名前も知らずにいたことでしょう。今後も学習を進める上で少しずつ関心が持てたらいいな、と思っております。

参考文献

浅井冨雄ほか監修:気象の事典, 平凡社(1999)

ENCYCLOpedia.com:Arthur Edwin Kennelly

ENCYCLOpedia.com:Heaviside, Oliver

ENCYCLOpedia.com:Sir Edward Victor Appleton

BBC History:Sir Edward Appleton

*別項「注意書き」をご一読ください

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